Hiro-blogの日記

gooblogからの引越しです。第三の人生エンジョイ中

第二の人生 心の変化について思うこと

街と山奥の生活と自分の心について。

人とはワガママな生き物だと思います。私がまだ未成年の若者で九州の実家に住んでいた時、「田舎はチャンスが無い!華の東京、憧れの東京!」等と思っていました。でもいざ華の東京に出てくると確かに様々なチャンスはあるんだろうけど、そのチャンスは自分のものじゃない気がするし、人も多すぎて自分の家に帰ってきても狭い部屋の壁一枚隣の部屋の他人に気を使い、また休みの日にも近くに自然が無くて遠出しても誰もが考えることは一緒でどこもかしこも人がいっぱいで心が悲鳴をあげていました。自分の生まれ育った地元がとても懐かしく、人は心が暖かくて自然はふんだんで友人も沢山なのでたまらず帰省で地元に帰ると、途端に輝く東京に戻りたくなるし。。。。

盆、正月やGWなどの長期休暇の時に国内や海外に旅に出ても、その刺激は楽しいんだけれどやっぱり自分の家が居心地良いし贅沢すると費用も嵩むので家に帰りたくなるし、家に帰ってくると旅で感じた非日常を思い出しその時の空気や匂いや偶然の出来事や自然を懐かしくまた旅に出たくなります。

現役で仕事してる時は、自分の時間の切り売りしている生活から離れて自由に生きたくてたまらなかったけど、今の自由人生活になると、しこたま自身の身体にムチを打って頑張ってたリーマン生活もそれなりに楽しかったと振り返って思ってみたり(でももう戻りたくはないですが)

結婚すると愛する人を奥さんに出来て天にも昇る幸せを感じるものの、男として不自由になった感じもして、子供ができるととても可愛くて人生最高の気分なのですが、益々自分の人生は不自由になっていくと思う心があったのも事実です。

そして今、街の家に居ると便利で色々な商品もサービスも美味しい店も何もかもすぐそこに有るし、何かを挑戦しようと思えば近くにチャンスはいくらでも有りそうな気もします。でもお金を稼いでないのでなかなかリスクは負えないので結局何も出来ないのも現実です。そうすると周りに何もなくて食料の買い出しに車で1時間もかかる山奥の山小屋生活で何も出来ないのは一緒だし、逆に何でも自分でやらないと生きていけない場所なので体も動かすし、動物が生活している場所で一緒に生きている感じが半端ない幸せ感だと感じますが、いざ山小屋で生活始めると都会独特の高揚感が懐かしく思えて、実際何も出来ないくせに都会の家に身をおきたくなるし、とわがままなのか、無いものねだりなのか。。。

こんな感覚を持っているのは私だけなのか、人間がもともと持っている感覚なのか?

これから先は出来るか分かりませんが、1年のうちに3か月ほど海外を旅をして、この歳になって見える世界の景色や体験で自分の心がどう感じるのか知りたいと思っていますし、これから更に年齢を重ねていった時に自分が何か残せるものがあるのか、伝えられる事があるのか?そしてそれらが楽しみとなるのか?そもそも出来るのかと色々考えてしまいますが、楽しんでいる自分の姿を想像しながら可能性を信じて挑戦は続けたいと思っています。

そして、将来自分の一生が終わった時に、もしも魂というものがあって肉体を離れて自由になって、それこそ地球のあらゆる場所や宇宙に自由に飛んでいけて、また時間さえ飛び越える事が出来るのならすごく面白そうだとは思うのですが、もしそんな事が出来たとしても私の事だから、すぐに肉体をもっていたからこその愛や味覚、嗅覚、やふれあい等の幸せを懐かしく思いだして、早く次の肉体を持った来世の世界である現実世界に戻りたいと思ってしまうかも。。。。